沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

鬼才・佐藤健志の慰安婦についての提言

Front Japanという番組で、佐藤健志が語った慰安婦についての見解を聞いて、眼から鱗が落ちた。

佐藤氏によると、政府がやるべきことは、慰安婦の方々に感謝することから始めるべきである。戦時下において、我が国の兵隊を慰める役割を担ってくれたことに、まず感謝するべきである。その次にやるべきことは、我が国が戦争に負けたことによって、慰安婦の方々に多大な苦労をかけてしまったことを謝罪すること。要約するとこのような内容だったと思うが、これまで聞かされてきた慰安婦についての言説にはない、鋭い視点からの分析であり、まさにこれこそ正論と言えるのではないだろうか。

最終的かつ不可逆的合意を交わしたはずの慰安婦問題が、政権が変わることで見直しを求められる。このイタチごっこから抜け出ることができない原因は、謝罪から入る我が国の政府の戦略の拙さにある。

感謝しないで謝罪から入れば、韓国政府も韓国人も謝り方が誠実ではない、もっと心から謝罪せよ、と要求を強めてくるのは、韓国の国民性を考慮すれば、容易に見て取れることだ。しかし、佐藤氏が言うように、まず慰安婦の方々に感謝の意を表明し、我が方の至らなかったところを謝罪する。

この順番を踏まえれば、韓国政府も韓国人も、そして今生きておられる元慰安婦の方々も口が重くなり、最終的に日本政府の姿勢を受け入れざるを得なくなるはずである。そして、佐藤氏は次のようなことも述べた。仮に感謝することに対して、韓国側が感謝が足りない、もっと心のこもった感謝をしろ、と反撃してきたら、それはもやは、韓国人はまるで子供のようだと、世界の嘲笑を浴びるだけだろう。人から感謝されて、それを非難する人間なんか世界にいるはずがないからだ。

感謝をして、それから謝罪する。今まで誰も言ったことのない、時代を突き抜ける発想である。頭の悪い安倍首相にできることではない。何しろこの男は、南北統一を夢見る文在寅大統領に対して、平昌オリンピックが終わったら最大限の圧力を北朝鮮にかけるとしか言わない、能無し売国奴だからだ。

安倍に代わる次の総理大臣に期待したい。まず感謝をして、それから謝罪する、この佐藤氏の提言を是非実行してもらうことを。そうすれば慰安婦問題は、良い形で自然に終息するであろう。

 

手登根は腹を切れ!産經新聞は高木桂一・那覇支局長を更迭せよ

産經新聞が自社記事の誤りを認め、記事を削除する謝罪文を掲載した。

どのような記事かと言うと、昨年12月9日に産経ニュースが、12月1日沖縄自動車道で発生した多重衝突事故で、事故に巻き込まれた海兵隊曹長が自らの危険を顧みずに、同じく事故に遭った日本人を車から救出したが、不運にも後続車にはねられて、意識不明の重体になった、という内容の記事である。

最初この記事を読んだ時、海兵隊曹長の勇気ある行動に感動し、1日も早い回復を祈ったものだ。

但し、記事全体に少々疑問を感じたのも事実だ。と言うのも、この記事を書いたのは高木桂一・那覇支局長だったからだ。この記者は沖縄ヘイトまがいの記事を書く人間として、ぼくは認識し用心していた。高木記者は記事の最後を次のような文章で締めている。

「遅ればせながらここで初めて伝えている記者自身も決して大きなことは言えないが、トルヒーヨさん(日本人を救出したとされる海兵隊曹長)の勇気ある行動は沖縄で報道に携わる人間なら決して看過できない事実である。「報道しない自由」を盾にこれからも無視を続けるようなら、メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ。とまれ、トルヒーヨさんの一日も早い生還を祈りたい。」

この最後の文章は、海兵隊曹長の勇気ある行動を報道しない沖縄大手2紙を非難している。この文章を読んだ時、ぼくの心の中に疑念が生じた。タイムスも新報も事実を知りながら、敢えて報道しないのだろうか? あるいは高木記者の記事に誇張はないのだろうか?

気分が晴れないまま、日にちが過ぎていったが、1月30日、高木記者の記事を否定する琉球新報の記事がでた。在沖海兵隊を取材した結果、そのような事実はないとの回答を得たと言う。そして県警もそのような事実は確認できていない、と断定したと言う。

高木記者の報道から約2ヶ月弱、真実を明らかにする為にこれだけの日数をかけたのは、新報側としては、慎重の上にも慎重にならざるを得なかった事情があったに違いない、と読み取れる。それから1週間後、昨日の朝刊で遂に産經新聞は自社の非を認めて謝罪した。

しかし果たして、これで海兵隊曹長の日本人救出問題は、最終かつ不可逆的に終止符が打たれたのだろうか? そうだ、とは言えないだろう。大きな問題が残っているのだ。このデマ記事製造に関わった人物達と、このデマ記事が起こした社会現象の異常さを指摘し、沖縄バッシングの震源地を炙り出さない限り、同じようなデマ記事が止む保証はないからだ。

ネット世界だけでなく、産經新聞、沖縄2紙を巻き込み、大きく社会的波紋を引き起こした今回のデマ記事の震源地はどこだ?

それは、手登根安則(沖ウヨ・デマゴン)、お前だよ‼︎

デマ製造常習犯・ボギー手登根(沖ウヨ・デマゴン)、お前が最初にデマを製造し、それをネタに反沖記者・高木桂一が手の込んだ記事を仕立てあげて産経ニュースで流した。産経ニュースはネット界ではメジャー媒体だから、たちまち社会現象となり、佐喜真宜野湾市長はじめ、多くの人間を動かして波紋を広げるという、メディアの恐ろしさを世間に見せつけた。

手登根安則(沖ウヨ・デマゴン)は、12月3日のフェイスブックに次のように書いている。

≪事故現場に遭遇した時、彼はそのまま素通り出来ただろう。しかし彼は車から降り、クラッシュした車の中にいた日本人を助け出した。その直後、後続車に轢かれ意識不明の重体になっている。その事故のことを沖縄の新聞がどう書いたか。危険極まる高速道路上で怪我人を救助しようとしたことは一言も書いてありません。彼がアメリカ海兵隊員だからか?沖縄はいつからこんなに冷たい島になった?≫

このフェイスブックには、事故現場の写真と、トルヒーヨさんと思われる顔写真と、彼がベッドに横たわって治療を受ける痛々しい写真が添付されている。実に手の込んだデマ作品だ。これだけでは飽き足らずデマゴンは、6日さらに次のような文を追加する。

≪アメリカ本国では身を挺して他人の命を救った者はヒーローとして称賛されます。先日の事故のアメリカでの報道。しかし、命を助けられた沖縄側の報道はどうだっただろうか。まるでアメリカ人が加害者のような書き方をしてやいなかったか?記事を書いたタイムス社の記者よ、あなたに心はあるのか?わが身を挺してけが人を救ったヒーローにあなたの行なった仕打ちはもう全世界へと拡散される。反基地という薄汚い思想を県民に広めるためにヒーローをヒールに仕立て上げたことが最低だよ。≫

そしてこのフェイスブックにも写真が添付されている。トルヒーヨさんらしき人物が軍服に身を包み女性が寄り添う写真だが、英文が付いている。Marine in coma after crash victim in Japan.(日本での自動車事故後意識不明の海兵隊員)これまた実に手の込んだデマ作品だ。

このデマ作品に高木記者が早速飛びついた。高木と手登根は同じ穴の狢、ツーカーの間柄である。高木は手登根宛次のようにツイートしている。≪ネットの産経ニュースには本日18時の掲載でした。失礼しました。紙の産経新聞にも後日、コンパクト版が掲載される見通しです。≫

沖ウヨデマゴン(手登根安則)がまず事実をネタにデマ作品に仕上げ、高木記者が現場の取材を省略して、デマゴンのデマ作品を参考にした手の込んだデマ記事をこしらえて、産経ニュースに流し込む。

なんと見事な両者の連携プレーだろうか。しかし、スポーツと違いこの二人の連携プレーは社会に害悪を撒き散らすだけだ。

このデマ記事は各方面に拡散して、滑稽にも佐喜真宜野湾市長がコロリと騙された。市長がこのような悪質なデマ記事に騙されるなんて、市長としての適性があるかどうか問題だが、佐喜真氏は同市在住の富原夕貴なる女性の呼びかけに応じて、トルヒーヨさんの回復を祈るメッセージをTシャツに書くイベントに出席したのである。もはや笑うしかないが、これだけではない。

チャンネル桜が盛んに購読を喧伝する八重山日報が、救助されたとされる男性がトルヒーヨさんに感謝しているという記事を掲載したのだ! しかし、この男性は救助されてはいないと証言している!

いやはやなんとも、これだけの劣悪低級芝居を見せられると、さすがに厭世気分に満たされて、身の処し方に困惑するのみだが、言いたい結論はただひとつ。

手登根安則と高木桂一が起こした今回のデマ事件は、社会に大きな悪影響を及ぼしたことを考えると、その罪は深刻なものがある。デマを最初に流した手登根安則は、その責任を取って直ちに腹を切れ!

彼のデマを悪用し、手の込んだデマ記事に仕立てあげて産経ニュースに掲載した高木桂一に対しては、産經新聞は責任をとって、高木を那覇支局長から解任し、沖縄以外の地方へ更迭せよ!

『Osprey Fuan Club うようよ対策課』を是非ご覧いただきたい。今回のデマ事件の顛末が、時系列で詳細に分かりやすく解析されていて、非常に読み応えがある。

 

秘境に生きるセンチネル族、永遠なれ!

 ふと空想にふける時がある。はるか何千年前、縄文時代と呼ばれた時期、琉球諸島に住んでいた我々の祖先は、いったいどんな暮らし方をしていただろうか?
農耕文化が伝わるはるか以前、厳しかったはずの食環境をどのように凌いだのだろうか? 人口の数、話し言葉の種類、集団における序列形態、死者の処遇、宗教の存在・・。考え始めるときりがないが、今のところすべては謎で深い闇の中に封印されている。
しかし、はっきり想像できることがある。それは、海も空も、現在と比較にならないほど、澄み切って美しかったに違いない、ということだ。
沖縄の海は美しいと言われ、それが多くの観光客を引きつける誘因の一つになっているが、それでもぼくが幼少の頃と比べると、今の沖縄の海は汚れてしまった。少年の頃泳いだ海は、東シナ海側も太平洋側も澄み切っていて、20メートル下の海底をはっきり見ることができるほどだった。離島の海は今も美しいと思うが、本島の海は、長年に渡る開発の影響で透明度がかなり落ちた。
文明に汚染される前の我々の祖先は、太陽の光に反射して眩しい砂浜を歩いて海に入り、魚介類、モズク、アーサなどの海藻を採って食糧にしたのだろう。海の幸は豊かだったに違いない。Time Machineに乗って原始時代の沖縄に行く。ユートピアの世界に浸る。文字も電気もない世界で、野生のままの生活を送る。大陸と違い、肉食獣がいない琉球列島は、全てがのんびりして、時間がゆっくり流れる。そんなことをとりとめもなく想像しながら、つい夢心地になる時がある。ところが、当時の沖縄を彷彿とさせるような世界が、現実に存在することがわかった。
インドのベンガル湾にあるアンダマン・ニコバル諸島の南西部に位置する北センチネル島がそれだ。サンゴ礁に囲まれた密林の島で、面積は約60平方キロだから、久米島とほぼ同じくらいの孤島である。
写真で見る北センチネル島の様子は、どこかしら沖縄と似ている。緑豊かな内陸部と、白い砂浜、澄み切った美しい海、そして温暖な気候。しかし、驚嘆すべきはそこで暮らすセンチネル族の激しい性格である。誰一人として島に近づこうとする人間を寄せ付けないばかりか、上陸しようとすると、弓矢でもって攻撃し、殺傷することを厭わないらしい。実際、近づいた漁民が殺害されている。この異常とも言える警戒心の原因はわからない。嘗て文明人がやって来て、酷いことをされて自衛のために警戒するようになったのか、全く謎である。領有権のあるインド政府は、何度も接触を試みたが弓矢で応戦されて、ついに断念せざるを得なくなったという。調査のため低空飛行で島の上を飛ぶと、弓矢で飛行機を射る姿勢を構えて威嚇する!その無謀とも言える激しくも愛すべき原始人の姿に驚かされるのだが、なぜか共感の感情が湧き出て、応援したくなるから不思議だ。
結局、インド政府は、センチネル族と接触することを断念した。観光客が興味本位で島に接近するのも禁じている。観光資源とならないよう遠方から島を監視するだけだと言う。島が、インド政府の管轄でよかったと思う。インド政府が下した結論は、センチネル族の意思を最大限尊重することになるからだ。もし白人の管轄下にあったなら、調査と称して強引に接触し、騙し騙し文明化を強制したことだろう。そして、彼らの精神をズタズタに辱め、誇りを失わせて、ついには滅亡させる。歴史を振り返れば、彼ら白人が先住民族にとってきた残虐さが、その可能性を示唆している。
イギリス人は、18世紀から19世紀にかけて、20万人のタスマニア原住民を絶滅させている。弄ぶように虐殺して絶滅させたのである。これは文明人・白人が犯した凶暴さのほんの一例にすぎない。長い間、イギリスの植民地にされ虐待された歴史を持つインド人は、イギリス人と違い、センチネル族を絶滅させるようなことはしないだろう。センチネル族は39人から400人くらいが生存しているとされるが、正確な数字ではないらしい。多くの人が実態を知りたいと思うのは、好奇心を考えると自然なこととしても、しかし、外部との接触を拒否するセンチネル族の立場になって考えるなら、そっとして置くほうが、真の意味での民族の共生であると思うし、その結果として、お互いを尊重することになるのではないだろうか。島が観光地化されて、センチネル族が、金銭のため観光客に媚びを売る姿を想像するのは、あまりにも残酷すぎる。
むしろ、珊瑚礁に囲まれた小さな島で暮らす原始人センチネル族の神秘的世界を想像する、そして我々の好奇心をできるだけ抑え込む。そのほうが、我々を真っ当な人間にするのではないだろうか。夢見心地に浸りつつ、そのような事を考えた。
心から祈りたい。秘境に生きるセンチネル族よ永遠なれ!

                                    

渡具知次期名護市長は苦難の道を歩むことになる

渡具知武豊氏が20,389票を獲得して、名護市長に当選した。稲嶺進現市長との票差は3,458票である。

予想以上の大差と言える。正直のところ、ぼくは僅差で稲嶺氏が勝つと思っていた。はっきり言って残念である。敗北の原因はいろいろあるだろうが、名護市民ではないぼくがその原因を、表面的に分析したところで、なんの説得力も持たないだろうし、やろうとも思わない。名護市民でない人間に名護市民の生活上の苦悩は分かるはずがない。

ただ次のような感想を持ったのは事実だ。渡具知氏は、敢えて新基地問題を争点にしないで、終始名護市の経済の活性化を訴えた。投票の結果だけから判断すれば、渡具知氏の戦術はズバリ的中したと言える。名護市民は、新基地問題よりも経済活性化を選択したことになる。つまり、渡具知氏が繰り返し訴えた経済振興を支持したのである。それだけ名護市民は経済的に困窮していた、ということだろう。しかし、このような生活実感は部外者には分かりようがない。だから現実をありのままに受け止めなければならないのだろう。しかし、果たして名護市民の今回の選択は正しかったと言えるだろうか?

渡具知氏は、「海兵隊の県外・国外移転」を政策に掲げているが、いずれ海兵隊の基地である辺野古新基地建設を容認することになる。何故なら、彼は再編交付金を貰えるなら貰いたいと言明しているからだ。だから容認するに決まっている。そして、それを元手に経済振興を図るつもりなのだろう。

新基地建設と引き換えの経済振興。過去何度も我々県民が見せられてきた精神が堕落していく姿だ。今回名護市民は、記憶消失症になったのか、20年前と同じような三文オペラを見事に演じてくれた。20年前、当時の比嘉市長は、10年で1000億円という巨額の振興策に頭の中が真っ白になり、辺野古新基地建設を容認したのだった。しかし、それで名護市は良くなったのか?良くなっていれば、渡具知氏が今回の選挙で経済活性化を訴える必要はなかっただろう。あの時造った箱物が、現在はその維持費負担で苦労している、とういのが実態ではないのか。渡具知氏が目当てにする再編交付金は、10年間支給という期限付きだ。10年後交付金は切れるが辺野古新基地は残る。新基地建設に投入される何千億円もの巨額の殆どは本土の大手ゼネコンに還元される。地元建設業者に落ちる金はおこぼれ程度だ。そして100機のオスプレーが沖縄全域を飛行訓練と称して自由に飛び回る。特に高江のヘリパッドを抱える北部地域は、更に危険度が増して住民は無力感に苛まれて呻吟するだろう。「あの時、容認するべきではなかった」と、後悔する時が必ずやって来る。しかし、その時やすでに遅し。安倍売国奴政権は、日米地位協定を抜本的に変える意思が更々ない。売国奴政党・自民党政権が続く限り、日米地位協定は頑として動かないだろう。

更に危惧されるのは、辺野古新基地が完成しても、普天間飛行場が返還されない可能性さへあることだ。何故なら米軍は、故意に8条件を付けてきたからだ。その中には、緊急時において、那覇空港を米軍が使用できること、とある。この条件を呑まなければ、普天間飛行場が返還されない恐れがある。県民の苦悩など、彼らの関心事ではない。占領意識丸出しの身勝手な要求を平気で突きつけてくる。正義は武力にあり、これが米軍の政治哲学だ。

ボールは稲嶺市長から渡具知次期市長に渡された。沖縄の政治には大きな困難が伴う。常に米軍基地問題が絡んでくるからだ。政治家が真剣になればなるほど、必然的に日本政府と米政府に対峙しなければならなくなる、という宿命を沖縄の首長は背負わされている。ある時は妥協しつつも、しかし、我々の先人達は勇気を持って言うべき事は言ってきた。少しづつではあるが、歴史を前に進めて社会を良い方向へ変えてきた。民族の誇りを失ってはならない一念で家族を、地域共同体を、そして沖縄を我々の手で守ってきたのだ。「沖縄の風土も、海も山も、空気も風も、全て政府のものではない。沖縄に住んでいる我々のものである」以上、当然のことである。

稲嶺市長も我々の先人同様、在任期間中、言うべきことをはっきり言ってくれた。苦悩の8年間であったにしても、安倍売国奴政権と堂々と渡り合った態度は立派だった。その意味では、今回選挙で負けたとはいえ、少しも悲観する必要はない。欲を言えば、設計変更許可申請を拒否する稲嶺市長の姿を見たかったのだが、選挙の結果が出た以上潔く諦めるしかない。

決して負け惜しみではない。我々沖縄県民は、稲嶺市政8年間を誇って良い。稲嶺進さん、ありがとう。これからは、ボールを受け取った渡具知氏が、どのような政治をするか、とくと拝見することにしようではないか。「海兵隊の県外・海外移転」と再編交付金を受取る整合性をどうするのか、拝見させてもらおうではないか。基本が卑怯な政治がうまくいくわけがない。「輝く名護市!」は短期間で化けの皮が剥がれるに決まっている。そもそも市長になる動機が不純である以上、早番市民の心が離れていくのは間違いない。勿論、全てぼくの杞憂であって欲しいのだが。渡具知氏には名護市を立派な街にしてもらいたいが、残念ながら無理だろう。苦難の道を歩く姿が、今から目に見えるようだ。

その苦難の質が、稲嶺市長と渡具知次期市長では異なる。稲嶺市長の苦難は正義の苦難であり、終われば心が晴れやかになる性質のものである。そして、渡具知次期市長が今から歩むであろう苦難は、任期を全うした後も残る堕落した性質のものである。

「有るからといって、喜んではいけない。失ったからといって悲しんでもいけない。人が歩いた道は後で知られる。」

これは、母が生前ぼくによく語った沖縄の諺のひとつである。稲嶺市長に捧げたいと思う。稲嶺市長、8年間ご苦労様でした。本当にありがとうございました。心晴れやかに余生を楽しんでください。

 

渡具知候補の「あいまい」戦術に騙されるな

人間は「あいまい」さに弱い。日常生活において、何事も明確にしなければならないとなると、身も心も疲れるだけだろう。だから出来るだけ何事もほどほどに済まそうとする。その方が人間関係もうまくいく。しかし、政治の世界では「あいまい」は時として事態を悪化させる性格があり、一歩間違えると、取り返しの効かない事態を招く恐れさへある。だから政治家は「あいまい」な言動を慎むべきでありやってはいけないのだが、明日投開票される名護市長選で、渡具知候補はこの「あいまい」戦術で辺野古新基地建設という、最も関心の高い問題をあやふやにしている。

海兵隊の県外・国外移転」を政策に入れているにも関わらず、辺野古新基地建設に賛成か、反対か明言しないということは、正に「あいまい」ではないか。「海兵隊の県外・国外移転」そのものは、立派な主張であり、政策である。ならば、海兵隊の基地である辺野古新基地建設に何故反対しないのか、できないのか。

渡具知候補の腹は見え透いている。当選したら、容認するに決まっているのだ。彼は名護市議会議員の間ずっと新基地容認派だった。この事実を見れば、彼の心の中に何があるか、火を見るよりも明らかだ。この様な態度を卑怯・卑劣と呼ぶのだ。

「あいまい」戦術を取る渡具知候補は、名護市長になりたいだけのただの政治屋にすぎない。こんな人物に名護市の行政を任せてはならない。マスコミや若者が企画した公開討論を逃げているのも、稲嶺市長にことごとく論破されるのを恐れているからだ。渡具知陣営は、今朝の琉球新報の一面を使って意見広告を出している。極大文字で「輝く名護市!」と謳っている。辺野古新基地が出来上がると、100機を超えるオスプレーが配備されることを知りながら、敢えて「輝く名護市!」と訴えたいのだろうか。

あまりにも鈍感すぎる。想像力が貧弱だ。オスプレーだけではない。強襲揚陸艦も常備係留されることになる。輝くどころか、名護市はじめ北部全域がさらに危険地帯になり、人々の心は荒んでいくことだろう。だから、渡具知氏ではダメなんだ。「あいまい」さのない稲嶺市長でないといけないのだ。

昨日の県議会は、「あいまい」から程遠い明快な言葉で、普天間基地即時運用停止を、全会一致で決議した。

1.保育園・学校・病院・住宅などの民間地上空での普天間飛行場所属の米軍機の飛行・訓練を直ちに中止すること。

2.政府が約束した2019年2月末日を待たず、直ちに普天間飛行場の運用を停止し、普天間第二小学校の運動場が使用できるようにすること。

3.日米地位協定を抜本的に改定すること。特に「日米地位協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律」を廃止し、日本の航空法を遵守すること。

4.在沖米海兵隊を沖縄から早期に国外・県外に移転すること。

与野党の枠を超えて、全会一致で決議したことに大きな意義がある。これぞまさにオール沖縄のあるべき姿だ。名護市民の皆さん、渡具知候補の「あいまい」戦術に乗せられてはいけません。この先、沖縄防衛局は設計変更許可を名護市長に申請することになります。美謝川の切り替え工事は、その中でも大きな案件事項です。稲嶺市長なら当然、認可することはありません。渡具知候補は認可するでしょう。

だから、「あいまい」さのない稲嶺市長でなければならないのです。辺野古新基地建設は、道半ばで必ず頓挫します。政府が断念する時まで、歯を食いしばって、県民全員で頑張りましょう!

 

菅原文太さんの最後のメッセージ

仁義なき戦い」で日本中を熱狂させた俳優、菅原文太さんは平成26年11月28日に亡くなられた。その27日前の11月1日のこと。年老いても颯爽としてカッコいい菅原さんが、沖縄セルラースタジアムの演壇に登場した。県知事選に立候補した翁長氏を応援するためである。マイクを握り原稿に目を落とす菅原さんの表情は、少し青ざめて見えるが、落ち着きはらったその立ち姿は、銀幕のスターそのままの菅原文太だ。その日は風が強く、手に持った原稿が飛ばされそうになったり、菅原さんの長い白髪が乱れたりした。ドスの効いた太い声が大観衆に向かってこだまする。間の取り方が実にうまい。一区切りする度に、大観衆から大きな拍手が鳴り響く。僅か10分程の短い演説から印象に残った言葉を並べると。

「今日は自分から立候補して、ピッチャー交代、知事交代ということで押しかけて来ました。(大拍手)」「プロでない私が言うんだから、当てになるのかならないのか、分かりませんけど、政治の役割は二つあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと。もうひとつは、これが最も大事です、絶対に戦争をしない事。(大拍手)」

「仲井真知事は今最も危険な政権と手を結んだ。(拍手)。沖縄の人々を裏切り、公約を反故にして、辺野古を売り渡した。(拍手)。古い映画だけど、仁義なき戦いに、その流れで言うと、仁義なき戦いの裏切り者の山守、覚えていらっしゃらない方もいるかな(聴衆から大きな声「覚えているぞーっ」に「覚えているかーっ」と応えると聴衆が歓喜で騒めく。大拍手)。映画の最後で「山守さん、弾はまだ残っとるがヨー、一発残っとるがヨーという台詞をぶつけた。その伝でいくと、仲井真さん、弾はまだ一発残っとるがヨー(大拍手と指笛鳴り止まず)とぶつけてやりたい。」

沖縄の風土も、本土の風土も海も山も、空気も風も全て国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。辺野古もしかり。勝手に他国に売り飛ばさないでくれ。(大拍手と指笛止まず)」

「まあそうは言っても、アメリカにも良心篤い人々はいます。中国にも居る。韓国にも居る。(大拍手)その良心ある人々は、国は違え同じ人間だ。(大拍手)皆、手を結び合おうよ。(大拍手)翁長さんは、きっとそのことを実行してくれると信じている。(大拍手)」

この演説の27日後に菅原文太さんは亡くなられた。菅原さんの最後の政治的メッセージとなったこの時の演説は、YouTubeで見ることができる。今朝の琉球新報の意見広告にこの時の菅原さんの言葉が載ったのを見て、今まで何度も繰り返し見た動画を想い出して懐かしくなり、今日また観てあの時と同じ感動に胸を熱くした。我々沖縄県民にとって、記念すべき貴重な菅原文太さんの演説。

菅原さんの篤い期待に応えるためにも、今回は稲嶺市長を是非、勝たせないといけない。名護市民の皆さん、安倍売国奴政権の罠にはまってはなりません。最後の最後まで気を緩めることなく、全員で頑張りましょう!

 

 

沖デマゴン(手登根安則)がまたもや墓穴を掘る!

デマ製造マシーン、自称 ボギー手登根(沖デマゴン)が恥もなく、デマを流すことに余念がないようだ。シレッとして平気で嘘をつくことができる沖デマゴンの最新作デマを『Osprey Fuan Club うようよ対策課』が取りあげて、痛烈に批判撃滅している。
沖デマゴンは、バレないつもりでデマを流し続けているが、彼にとっては天敵と呼ぶべき『うようよ対策課』にしっかりと監視されていることに未だ気付いていないらしい。
仮に気付いているとしても、彼が作る嘘に簡単に騙される多くの軽薄なネトウヨ連中が、彼に煽情的声援を送る。その快感が堪らなくてデマ製造が辞められない止まらない、とまあこういう事情があるのだろう。
しかし、沖デマゴンにしてみれば、嘘をつくために生まれてきた以上、避けることの困難な悲劇と言えるかもしれない。いずれにせよ、個人的背景がどうであれ、多くの真面目な県民にとっては、跳んだ迷惑である。

我々は皆幼い頃、「嘘つきは泥棒の始まり」と教わった。そして親の立場になれば、子供達を同じように諭す。ところが沖デマゴンは、どこで道を踏み外したか、お天道様の下で堂々と嘘をついて生きている。
その厚顔無恥は、もはや犯罪的だ。いずれ刑務所の塀の内側に転落するのも時間の問題だろう。そう思いたくなるほど、この男のデマは正視できないほど稚拙で酷すぎるのだ。
昨年12月に高速自動車道の知花付近で玉突き事故が発生した。その時、事故に巻き込まれた海兵隊員が、自分のことよりも先に日本人を助けたのに、県紙2紙は、事実を報道しなかった、という趣旨の記事を産経那覇支局所属の高木記者名で産経ニュースが流した。
しかし、なんとその情報源は、沖デマゴンが流したデマ投稿だった!

ぼくも薄々感じてはいたが、高木記者と沖デマゴンがつるんでいたとは、いやはや何をか言わんや、である。真実は、海兵隊員が日本人を助けた事実はない、と在沖海兵隊が証言したことで明らかになった。
真実が明らかになった以上、沖デマゴンと高木記者は謝罪すべきだが、両者ともシレッとして反省の姿勢さえ感じられない。高木記者はジャーナリストとしての資格がない。直ちに記者を辞めるべきだろう。
沖デマゴンのデマはこれに止まらない。日ハムが名護市に来なくなったのは、稲嶺市長の政治が悪いからだ、と例のように平然とネットで流した。しかし、全くの嘘である。日ハムは昨日から名護市と、国頭村で練習の準備態勢に入っている。
すぐバレるような嘘をつく沖デマゴンの異常体質。嘘と真実の見分けができない手登根安則というネットお化け。選挙に異常な執念を燃やす疫病神の自称ボギー手登根。
時が経過するに従い、この男の止まることのない悪態は累積し、詳細に記録されて保存される。去年、今年、来年と時が経つにつれ次第に追い詰められて、ついに沖縄にいられなくなる時がやってくる。
沖デマゴン(自称ボギー手登根、本名手登根安則)よ、その時が来るまで精々墓穴を掘り続けるが良い。
『Osprey Fuan Club うようよ対策課』をぜひ多くの人々に見てもらいたい。
沖デマゴン他、沖ネトウヨ連中の今までのデマが満載されていて、その鮮やかな解析力は、見応えたっぷりですゾ。