沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

辺野古闘争は日本の将来を占う歴史的闘争になる

安倍政権の欺瞞的性格と限界が、辺野古問題にあからさまに現れている。民主主義を装う独裁的体質。対米従属からくる軍事戦略の無理解、不勉強。民主主義の正統な手続きを経て、県知事選、国会議員選挙の全てで、辺野古新基地建設反対派が勝利したのにもかかわらず、県民の意思を無視して、工事を強行する。これを独裁と言わずして、何という。海兵隊は、必ずしも沖縄に駐留させる必然性はないにもかかわらず、不勉強のためか、「辺野古が唯一」としか言わないバカバカしさ。弱き(沖縄)を苛めて強き(米国)に媚び諂う日本の政治。安倍晋三も、菅義偉も、勇気ある日本男子ではない。国家理念に著しく欠ける無能政治家である。我々沖縄県民は、この無能な政治家たちに屈するわけにはいかない。昨日、那覇市の奥武山公園で県民大会があった。「我々はあきらめない」のプラカードを参加者全員が掲げる光景は圧巻であった。少数(沖縄)の正義が勝つか、多数(安倍政権)の悪が勝つか、辺野古闘争は、日本の将来を占う歴史的闘争になる。

我々の生活が脅かされる時に、保守も革新もあるものか。イデオロギーよりもアイデンティティ。県民の皆さん、辺野古の美しい海を埋めて、不必要な海兵隊米軍基地建設を許してはなりません。我々の子供、孫たちの未来のため、不屈の精神で頑張りましょう。

 

お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!
海兵隊が沖縄に駐留する軍事的必然性はない!
新基地ができると、日本の真の独立は200年遅れるぞ!
毎日無料高速バスが出ています:参加費はカンパのみ
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発:受付8時半〜)

朝堂院大覚が面白い、そして凄すぎる

日本刀を振り回す動画を初めて見た時、朝堂院大覚という人物は右翼の人間だろう、ぐらいにしか考えていなかった。しかし、その言動を注意深く聞いていると、その主張は、まさに正論ではないだろうか、と思うようになった。次第に興味が湧き、彼が登場する多くの動画を見、彼に関する情報をネットで調べていくうちに、朝堂院大覚は、常識的基準で評価する事が困難な、底知れないスケールの大きい人物だということがわかった。浪速冷凍機工業を率いて、30代で、今の金に換算すると、1000億円の個人資産を築き上げたというからすごい。田中角栄の懐刀と言われた後藤田正晴の相談役を務め、パレスチナ自治政府アラファト議長をはじめ、世界の政治家と交流を持ち、様々な組織を立ち上げ、自らその総裁に収まるという、凄まじい実行力の持ち主だ。日本の政界、暴力団組織、その他種々の社会組織と関わりを持ち、それ故にマスコミ等では知ることのできない、多くの興味深い情報の保持者でもある。彼の発言を聞いていると、その辺の事情が良くわかる。その発言の内容は過激であり、その中には大袈裟ではないか、と思わせるものもあるが、いかんせん、その裏付けを取る手段も能力もないぼくにとっては、今のところは、興味の域を超えることがないと言わざるを得ない。しかし語られていることが真実なら、日本社会がひっくり返るような中身の濃い情報に満ち満ちているのだ。その華やかで強面の出立ちは、一瞬見る人を後ずさりさせるが、正義感に溢れる人柄だと分かれば、逆にその男としての魅力に引き込まれるのではないだろうか。ぼく自身、朝堂院大覚氏の不思議な人間力に魅せられている、と告白せざるを得ないのである。57人もの子供がいるというが、こうなるともはや、不思議な魅力を超えて神秘的ですらある。並外れた人物、朝堂院大覚氏の発言から、当分の間、目が離せなくなった。

 

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許さない、渡さない、辺野古の海:13回目の辺野古

昨日、辺野古へ行った。普段、静かな生活を送っているので、辺野古行きは、ぼくにとって、嵐の1日となる。集団の一員になり、闘争に参加する。正直、辺野古行きの朝は、毎回心が重い。しかし、最低一週間に一度の参加を、自らの義務と課している以上、弱い心に鞭打って、バスに乗った。県民広場前に着くと、顔なじみの人、初めて見る人が6、7名集まっている。彼らの顔を見ると、少しづつ気持ちが高揚し、重かった心が、いつの間にか、軽くなっている。その広場で、白いテントの組み立てが始まった。何か催し物でもあるのだろうか。その組み立てを手伝っている顔なじみの参加者の1人が、ぼくの方に歩み寄り「金城さんも手伝ってください」と言った。言われるままに、手伝っているうちに、辺野古の写真展をやることが分かった。小さなテント2棟が、男性参加者全員が手伝ったおかげで、あっという間に組み立てられた。18時半まで、開催するらしい。辺野古から帰ってから、見ることができるかもしれない。さて、昨日の参加搭乗員は、27名だった。その中に、球陽高校の上原さん、という女生徒がいた。1人で来たという。何か話すように促された彼女は、マイクを握って話し始めたが、少しも臆することなく、簡潔だが明快な感想を述べてくれた。その立派な態度に感心した。先入観を持たず、自分の目で辺野古問題を捉えて欲しい。辺野古沖縄県民の正義の闘争であることを、誰かに洗脳されるのではなく、自分自身で確かめてもらいたい、と願うだけである。出発が大分遅れたので、辺野古に着いたのは、11時10分前だった。国道329号線を両側から挟むように続く米軍海兵隊基地キャンプシュワブの金網。戦後日本政府の安全保障の無策振りを象徴する風景のようだ。第1ゲート前のテントは、120名前後の参加者で一杯だった。テントは歩道沿いの傾斜面にある。その傾斜面の上の方は、基地のフェンスになっているが、テントのすぐ上のフェンスからさらに約10メートル上がフェンスになっている。つまり二重フェンスになっている。なぜ二重フェンスになっているのか、理由はわからないが、フェンス際の高いところから、基地内を見通すことができる。勿論、海側の基地は見えないから、工事の進行状況を確認することはできない。しかし、第1ゲート内の近くに機動隊の車両が3台、待機しているのは、手に取るように丸見えだ。ぼくは、ずっとテントの上の高台から、向こう側の基地内を観察していた。すると、20数名の機動隊員が基地を出て、工事用ゲート前に駆けていく姿が見えた。座り込みをしている人は誰もいない。不意を突かれたような形になり、テントの中にいた参加者がざわめいた。全員急いで、工事用ゲート前に向かった。機動隊は、座り込みをする場所に参加者が入れないように、常駐させてある2台の機動隊車両の前に陣取っている。「中に入れろ」「ダメだ」と言い合いながらのちょっとした攻防が始まったが、なんとか我々は中に入り、座り込むことになった。しかし、椅子がないので、アスファルトにじかに座りこまないといけない。不意を突かれるとは思っていなかったので、長椅子の用意がされていなかったのだ。我々の背後の基地内から、数人の沖縄防衛局職員が、携帯用スピーカーで「工事用車両が入る邪魔になります。立ち退いてください。」と、繰り返しゃべっている。その前には、ALSOKの社員が30数名、横にズラーッと立っている。我々は、機動隊とALSOKの社員にサンドイッチにされた状態だ。1人、また1人と排除されていく。両脇を機動隊員に抱えられたが、左側の抱え方が尋常ではないため、「痛いぞ!」と注意するが、知らんぷりだ。もう1人が、ぼくの足を持ち上げた。ハンモックの状態で歩道の一角に運び込まれた。我々を囲んだ機動隊員ともみ合うなかで、1人の女性が具合が悪くなるという事があったが、同じバスの乗員の1人だという事が、あとでわかった。30分くらい、閉じ込められただろうか。搬入した工事車両は少なかったらしい。その後、全員テントで休んでいると、13時半頃、機動隊の車両が基地から出て、そのまま帰って行ったのである。その理由はよくわからないが、工事車両の搬入は、これでない事がわかった。14時に帰ることになった。いつもより、早めの帰宅である。県庁前広場では、来るときに組み立てた、白い2棟の小さなテントで、辺野古の写真展が予定通り開催されていた。ぼくが写っている写真もあるのだろうか、と些か心配になりながら、見て回ったが、取り越し苦労であった。

県民の皆さん、辺野古へ来てください。新基地建設を頓挫させて、我々県民の手で、日本の民主主義の質を高めましょう!

 

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安倍政治を総括する

支持率が下がったから、内閣を改造する?国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ。支持率低下の原因は、安倍晋三本人にあるのではないか。その傲慢さ、お坊ちゃん的性格、演説下手、国家理念の欠如、内と外で食い違う主張。彼の政治家としての欠点は、数え上げるときりがない。「アベノミクス」「女性が活躍する社会」「1億総活躍社会」、そして今回は「人造り革命」だと?この男の知能指数は一体どうなっているのだ。そもそも日本語を正確に理解しているのだろうか?ヒトヅクリカクメイ?イチオクソウカツヤク?安倍晋三よ、いい加減にしたまえ!次から次と繰り出す言葉のアドバルーンは、あぶくのように消えていくだけじゃないか。拉致被害者の奪還はどうした?憲法改正は?尖閣諸島は今どうなっている?政治は子供の遊びじゃないぞ、わかっているのか、安倍晋三!フーッ、怒りのあまり頭に血が上り、つい過激な物言いになってしまった。安倍晋三に対するぼくの評価は、戦後最悪の首相ということに尽きる。

その頭の悪さは、戦後の首相の中でもピカイチである。ダメなトップを戴く組織はダメに決まっているじゃないか。改造内閣が早番、転げ落ちていくのは目に見えている。

 

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上原康助氏の思い出

上原康助さんが亡くなられた。84歳。復帰前の1970年に行われた戦後初の国政参加選挙で当選した県代表の政治家が、1人また1人と鬼籍に入る中、上原氏は最後の1人となった。戦後初の国会議員となった7人の侍たちが当選証書を手にして、晴れやかな表情で映った写真を見ると、懐かしさと、親しみの感情が入り混じって複雑な気持ちになり、なんとも言葉にならない。西銘順治(自民、衆院)、喜屋武真栄(無所属、参院)、瀬長亀次郎(人民、衆院)、稲嶺一郎(自民、参院)、上原康助(社会、衆院)、国場幸昌(自民、衆院)、安里積千代(社大、衆院)。各人、主義主張の違いはあったが、全員が沖縄を少しでも良くしたい、という情熱に燃えていたのは間違いない。広大な米軍基地の存在と、国会では絶対的少数派という、厳しい状況の中で強いられた困難な闘い。それでも、我々の先人達は、忍耐の限りを尽くしながら、少しずつ少しずつ、沖縄の歴史を前に押し進めて来たのは、紛れも無い事実である。保守革新を問わず、ウチナーンチュの誇りをどう守るか、心の中はみんな一緒である。イデオロギーよりもアイデンティティを呼び掛ける翁長知事の主張は、沖縄問題を解決するための本質論と捉えるべきだろう。政治的駆け引きがあるため、沖縄の政治は、本土の政党と系列化せざるを得ないという不幸はあっても、その限界を突破するためには、沖縄のアイデンティティを最大限強調する必要がある。そして、なにより我々県民自身が、そのことを自覚すべきだろう。

さて、上原氏の業績については、今朝の琉球新報が詳細に報じているので、ぼくは上原氏の思い出について、少しばかり言及したいと思う。実は今から14年前、沖縄の政治状況に不満と怒りを感じていたぼくは、沖縄の各界の言論人の主張を幅広く集約し、閉塞状態の政治状況に一石を投じる目的で、「沖縄自立新聞」という名の新聞を個人で創刊したことがあった。インタヴューの趣旨に賛同した人にインタヴューを行い、テープレコーダーに録音してから、後でその内容を記事にした。太田範雄(沖縄商工会議所名誉会頭)、西田健次郎(元自民党沖縄県連会長)、宮城弘岩(沖縄物産企業連合代表取締役)各氏を実際にインタヴューして、記事にまとめた。上原康助氏に対しても、彼の事務所を訪れて、直接インタヴューを申し入れた。嬉しそうな表情を見せた上原氏は、申し込み趣意書を読んでから、2、3日待ってくれないか、と言った。そして、数日が過ぎて上原氏のファクスが届いた。「発刊に寄せて」と題した寄稿文を久しぶりに読むと、感慨深いものがある。勿論、ありがたくそのまま、創刊号に掲載させて頂いた。

「 発汗に寄せて      沖縄自立新聞の発刊おめでとうございます。この度「沖縄自立新聞」の編集担当の金城武男氏から、同紙発刊にあたって、インタヴューしたいとの依頼を受けました。自立新聞を構想した理由は、沖縄にとって、最も重たい「古くて新しい」課題である沖縄の自立について、広く各界の意見を聞きながら政策提言等を行って行きたいとのお考えを披瀝なさいました。私にインタヴューを申し入れたのは、衆議院現職時代に沖縄の独立について質疑をしたこと、目下、琉球新報に月1回日曜評論を書かせてもらっていますが、1月に「初夢、沖縄の独立宣言」としましたが、その内容に金城氏が共鳴できる面があったからとのことでした。沖縄の自立については、誰しも関心があり期待を持っているところです。その立場からすると、この新聞が目指そうとする構想や趣旨には、共感をもちます。しかしながら、この沖縄自立新聞は、4月から発刊するとのことです。今のところ見本がないだけに、どのような性格の新聞になるのか、またどういう方々が登場なさるのか、未知な点が多くあります。

しかも、私へインタヴューしたいとの内容が、沖縄の独立に関する意見として、一、軍事・防衛面をどうするか? ニ、経済の自立は可能か?三、世論をどう盛り上げていくか?について聞きたいとのことでした。これほどコンパクトな内容の論点を短時間でまとめるのは、私にとって至難なことです。

加えて発刊号からいきなり、沖縄独立論の最も「核心部門」を聞かせて欲しいと言われても、些か戸惑いを感じました。そんな経緯がありましたので、発刊にあたって、私の感想を寄稿させて頂くことにしました。この沖縄自立新聞が、その発刊目的と内容等が、多くの県民に理解され、広く認知される新聞になることを祈念いたしております。

2003年3月吉日   前衆議院議員 上原康助

沖縄の基地問題が、少しも解決しないどころか、ますます酷くなる現状を目にしたまま、鬼籍に入った上原氏は、さぞ無念であったろう。1970年当時に比べて、社会インフラの整備は充実し、県民の生活は豊かになったとはいえ、基地問題の深刻さは県民の心を蝕み続けている。血の滲むような先人達の努力を無にしてはならない。

上原康助さん、安らかにお眠りください。

 

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権力に対する非暴力闘争:12回目の辺野古

昨日、辺野古へ行った。帰宅した時は疲労が激しく、すぐ冷たいシャワーを浴び、心身ともにスッキリしてから、のんびり夕食をとった。頭は何も考えることができないので、ブログは翌日書くことにして、早めの就寝となった。さて、県民広場に着いて暫くしてから、ラミス氏がきた。カンパが思うように集まらないらしく、再度お願いするためだという。ぼくは先日すでに、郵貯から送金したので、その旨話すと礼を言ってくれた。辺野古基金からのカンパはないらしい。辺野古行きのバスも、財政は苦しいらしく、辺野古基金から補填される多少の援助では、赤字を埋めることはできず、そのぶん参加者が別途にカンパを募っているのだという。みんな金銭的に苦しい中で頑張っているのだ。今日は、総勢25名であった。その中に、大学生が一人いた。県内で、通信大学を受けているという。先週も本土から来た大学生がいたが、大変良いことである。ありのままの辺野古闘争を体験するのは非常に大事なことで、将来必ず、彼らの生き方になんらかの指針を与えるはずだ、と信じたい。途中、知念さんの詳しい現況報告があった。座り込み500回を超える、強者の一人だ。話は面白く、参加者からの信望も厚い。このバスは9時出発だが、今日すでに6時に出発したバスもある。工事車両の搬入を少しでも遅らすため、できるだけ早く、現場で座り込みをするためである。そうすることで、参加者になんのメリットがあるわけでもない。新基地建設を許したら、沖縄の将来が大変なことになる、絶対にそうさせてはならない、という信念だけで厳しい闘争を続けている。それを思うと、自然に胸が熱くなる。弱い心に鞭が入る。明るい性格の世話役、比嘉さんのおかげで、車内は終始和やかである。辺野古に着くと、先行組はテントの中ではなく、工事用ゲート前で、すでに座り込みをしていた。我々も、そちらへ向かう。暑い。沖縄育ちで、暑さに強いとはいえ、意識がボーッとするような悩ましい暑さである。座っているだけで汗が吹き出て流れていく。無料サウナ。我々が来る前、参加者の一人が転倒して救急車で運ばれる騒ぎがあったらしい。詳しい状況はわからない。40分ほど座っていただろうか、機動隊が動く様子がないので、全員テントに移動することになった。臨機応変に動くことは大事なことだ。機動隊と対峙するときに備えて、テントの中で涼をとる。ラミス氏と一緒にきた女性が、カンパの紙箱を持って参加者の間をお願いして回っている。彼女もVFPのメンバーの1人らしい。昼食が終わって、13時頃、工事用ゲート前で、座り込みが始まった。いつも通り、最後列に座る。何人かの人がマイクをとって話すが、頭がボーッとして、真面目に聞くのが嫌になる。時間が経過しても機動隊の動きがない。彼らも連日の暑さで、体力を消耗しているのだろうか、それとも、同じウチナーンチュを強制排除する職務に対し、嫌気がさしているのだろうか。後者は十分あり得ることだ。我々は何も好きこのんで反対闘争をしているのではない。同じように彼らも好きこのんで強制排除するわけではないだろう。本音は、ウチナーンチュ同士、体を張った争いはしたくないのだ。そうせざるを得ない状況に追い込んだのは、現政権の安倍内閣である。だから、我々沖縄県民にとって、安倍内閣は、歴代政権で最悪の政権である。辺野古闘争に参加する人は皆、そう思っている。内閣支持率が急落している今、我々の方に風が吹き始めている。しかし、それでも気を緩めることなく、新基地建設を断念に追い込むまで、座り込みを中止するわけにはいかない。40分ほど経過してから機動隊がやって来た。やはり、彼らの動きがどこか変だ。自分たちの仕事に嫌気がさして来たのではないか。彼らの顔の表情に覇気がない。いつものようにぼくは、自分でもびっくりするくらいの大声で「機動隊、帰れ帰れ!」「ここはアメリカじゃないぞ!」「恥ずかしいことをするな!」と繰り返し繰り返し叫び続けた。それでも、1人、また1人と強制排除されていく。いつも繰り返されるシーンだが、我々はあくまでも、非暴力に徹している。権力に対する非暴力闘争。権力と暴力に勝てないぶん、根性で負けるわけにはいかない。100回排除されたら、101回座り込む。我々の視線は、目の前の機動隊のはるかかなた、東京に向いている。安倍内閣を睨んで離さない。安倍内閣が自滅し、新基地建設を断念に追い込むまで、権力に対する非暴力闘争が終わることはない。次の座り込みに備えて、テントで休憩を取ることになった。ラミス氏がマイクを握った。今日のカンパに対する感謝の意を込めて、歌を歌うという。「囚人が言う。暑くて喉が乾いたので、これはここの状況と一緒ですね、一杯の水をくれ、シルヴィー。ぼくの声が聞こえるか、シルヴィー。バケツに入れて、水を持って来てくれシルヴィー。すると、シルヴィーは一杯のコーヒーを持って来た。一杯のお茶を持って来てくれた。そして、そのほかにも色々なものを持って来てくれた。しかし、持ってこなかったものがある。それは、牢屋の鍵です。このような内容の歌です。オリジナルは長いので、少し短くして歌います。」と前置きしてから、英語で歌い始めた。上手い。歌詞も良い。感動した。歌い終わると、大きな拍手が沸き起こった。ラミス氏は大変な知識人だが、欧米人特有のユーモアの精神溢れる、好人物である。2回目の座り込みは、16時頃に始まった。権力に対する非暴力闘争。100回排除されたら、101回座り込む。正義は我々の側にある。負けるわけにはいかない。帰りのバスの中、ラミス氏が歌った歌詞をメモ帳に書いてもらった。

Sylvie,Sylvie   I'm so hot and dry   Sylvie,Sylvie   Can't you hear?   Can't you hear me calling?   

Bring me little water,Sylvie   Bring me little water by   Bring me little water,Sylvie   Every little once in a

while   Bring it in a bucket,Sylvie   Bring it in a bucket by   Bring it in a bucket,Sylvie   Every little once in

a while   She brought me a little tea   She brought me nearly every damned thing   But she didn't bring

the jailhouse key   Sylvie,Sylvie I'm so hot and ......

そして、一番下に次のように記されていた。Youtube-Harry Belafonte ''Sylvie''   帰ったら、早速調べることにしよう。車内は、冗談も飛び交い、終始和やかである。女性が多いせいもあるかもしれない。ぼくもマイクを握った。ラミス氏の歌に感動したことを述べた後、島倉千代子の「無法松の一生」をスマホで流した。この歌には深い思い出でがある。40年ほど前、東京で働いていた頃、歌舞伎町のコマ劇場で島倉千代子歌謡ショーを観たことがあった。当時、島倉千代子は人に騙され、莫大な借金を背負い、絶望のどん底にいた。死ぬことまで考えたと言う。そんなある日、雨の降る歌舞伎町を夜、泣きながら歩く島倉千代子を偶然見た細木数子が、島倉を説得して、私が力を貸すから、もう一度一からやり直そうと持ちかけ、全国縦断の歌謡ショーを企画した。ちょうどその頃に見た島倉千代子の歌謡ショーだった。司会の細木数子がその辺の事情を説明し終わってから、島倉千代子が最後に歌った「無法松の一生」。女性が男物を歌うときの迫力は独特のものがある。あのとき味わったなんとも言えない感動は、いまでも心の中に残っている。そんなことを話してから、スマホからマイクで流した。帰りのバスは、できるだけ和やかに楽しくしなければ、辺野古で受けた心の傷は癒すことができない。明日の英気を養う上でも、必要なことである。県民の皆さん、是非、辺野古へ来てください。一緒に闘いましょう!

 

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田原総一郎の「政治生命を賭けた冒険」とは?

稀代のジャーナリスト、田原総一郎氏がマスコミを賑わしている。先週の金曜日、田原氏は安倍首相と昼食をとりながら会談した際、「政治生命を賭けた冒険」を安倍首相に提案したという。一時間を超える会談で、両者は食事に箸をつけることがないほど、熱心に話し込んだという。主に田原氏が喋り、安倍首相は真剣に聞き入ったらしい。その事実がマスコミの知るところとなり、いろんな番組から出演依頼を受けた田原氏は、コメンテーターの質問に答える形で、その内容を披瀝した。しかし、実際には、肝心の中身に触れることはなく、コメンテーターが予測した内容をことごとく否定するものであった。特に次の三点が否定されたとなると、田原氏が提案した「政治生命を賭けた冒険」とは一体如何なるものか、予想するのは非常に困難になってくる。⒈衆議院解散総選挙連立政権 ⒊辞任。しかも、民進党共産党も賛成できる内容だという。まるで狐につままれたみたいで、難解な詰将棋を突きつけられたような感じだ。政界を長い間観察し続けて、その裏も表も知悉している田原氏が、支持率の急落で危険水域に入った安倍内閣を、再び浮上させるべく、一発逆転を狙うような提案を敢て何故したのか、謎は深まるばかりである。政治生命を賭けた冒険?やはり、ぼくのような政治の素人には、どんなに想像力を逞しくしても、答えは見つからない。ただ、個人的見解として、次のように言う他ない。安倍首相が、自身の政治信念を正々堂々と、真正面から国民に訴えない限り、国民の信頼回復を得るのは不可能だろう。たとえ、国民の反発を買うようなことでも、勇気をもって、誠実に訴えれば、国民も馬鹿ではないから、理解を示す人も必ずいるはずである。しかし、今までの安倍首相のやり方はそうではなかった。総理になる前となった後の発言には、耳を疑うほどの距離があった。演説下手が原因ではない。安倍晋三という政治家は、真の勇気のない、お坊ちゃん性格で、庶民の目線に立てない、二流の政治家に過ぎない、というのがぼくの見立てである。だから、田原氏の提案通り、安倍首相が動くとしても、政権浮揚には、なんら影響することはないだろう。もはや、この国の政治は、希望の見えないワンダーランドそのものである。

「もはや、この国はダメなんじゃないですか。」(西部邁談)

 

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