沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

9回目の辺野古:99対1の巨大な壁

これまで特定の政治活動をやった経験のないぼくのような人間が、なぜ辺野古の反対闘争に自らの意志で参加することになったか。3年前の知事選はじめ、すべての選挙で辺野古移設反対派が勝利したにもかかわらず、沖縄県民の意思を無視して安倍政権は、新基地建設を強行した。これが直接の引き金となった。その傲慢さは、歴代自民党政権の中でも際立つもので、それにたいする怒りの火がぼくのような普段は大人しい人間の内部で、激しく燃え上がったのである。そしてその背後には、多くの情報を調べた結果、海兵隊は沖縄に駐留する軍事的必然性がないことがわかった、ということがある。海兵隊の機能を考えるなら、本土のどこに置いても構わないのだ。グァムに全軍移転しようが、米本国に引揚げようが、一切構わないのである。沖縄の米軍基地は、嘉手納空軍基地を除くと、ほとんどが海兵隊関連施設だ。その要らない海兵隊関連施設をすべて撤去するだけで、基地の過重負担という沖縄の基地問題の大方は解決する。沖縄県民が主張し訴えていることは、決して無理難題でもなんでもないのだ。日本人として、当たり前のことを言っているに過ぎない。
正当な訴えであるにもかかわらず、県民の声が、国会に届かないのはなぜか?その原因の一つは、99対1の巨大な壁が、北緯38度線を挟んで、沖縄と本土の間に横たわっているからではないか、とぼくは、昨日辺野古行きのバスの中で、話した。総勢19人の中に、本土から来られた方が3名いた。特にその人たちに向けて次のように話した。「沖縄には、99対1の壁という言葉があります。それはどういう意味かというと、全国の人口を100とすると、沖縄県民はその中の1にしか過ぎません。だから99対1と言っていますが、それが大きな壁となり、沖縄では多数派を形成しても、全国レヴェルでは絶対的少数派です。県選出の国会議員も国会では、絶対的少数派に過ぎない。そのため、県民の意思はなかなか届かない、という現実があります。その大きな壁を乗り越えるにはどうすれば良いか。みなさんのように本土から、できるだけ大勢の方が、辺野古へ参加することで、この壁を乗り越えることができると信じます。皆さんに心から感謝します。その気持を込めて一曲歌います。」「実は今日は、ぼくに代わって歌ってくれる人を連れてきました。なかもとくにこさんに、沖縄育ちを6番まで歌ってもらいます。」と言ってから、スマホYouTubeにある曲、「沖縄育ち」をマイクに向けて流した。この企画が、乗員全員に受けた。バスの中は一気に和やかな雰囲気に包まれた。伊芸エリアでの小休止を入れて、約1時間半で現場に着いた。暑い。灼熱の太陽は、カミュの「異邦人」を思い起こさせる。国道の両側にフェンスが走っている。広大なキャンプシュワブである。テントの中に100名前後の参加者が集まっている。我々もその中に加わる。民医連の二人の紹介があった。熱中症や怪我人が出た時の応急処置のため、毎日、違うメンバーで参加しているという。なんと有り難く、心強いことか。全国どこにでも良心派がいる。だから生きていける。13時半を過ぎた頃、機動隊との攻防があった。機動隊は帰れ!コールの中、一人また一人と排除されていく。二人の隊員が、ぼくの両脇を抱えて、「そのまま歩いてくだい」と言う。「座り込みにきたんだから、歩かないよ」と言って、ぶら下がる形になった。そのまま運ばれると流石に両腕の付け根に負担がかかるが、もう一人の隊員がぼくの両足を抱えて持ち上げた。ハンモックのようになった。これだと楽ちんだ。すでに排除された参加者たちが閉じ込められている歩道の一角に運び込まれた。取りか囲んでいる機動隊員に向かって「ここはアメリカじゃないぞ。君達の向いてる方向が違うんだよ。」「ウチナーンチュが同じウチナーンチュを排除してどうするんだ?排除すべきはフェンスの向こう側の海兵隊だろうが!」「弱気を挫き強気に味方する、これが日本男児のやることか!」「恥ずかしいことをするな、アメリカの犬になるな!」「海兵隊が沖縄に要らないことははっきりしている。安全保障をもっと勉強しろ!」というようなことを、繰り返し大声で叫んだ。二十代の若い隊員たちの純粋な心にビンビン突き刺さる効果を狙って。もちろん無駄なことは百も承知の上だ。しかし非暴力が原則である以上、こうする他に方法はないのだ。参加者たちが機動隊に囲まれて身動きできない間、工事車両は基地内に入っていく。それを眺めながらどうすることもできない。1時間近くかかったであろうか、炎天下の中、我々は立ちっぱなしであった。一回目の攻防の後、参加者の約半数が帰っていった。もう一度搬入があるかもしれない、ということで我々は残ることになった。16時過ぎ、工事車両が現場に向かっている、という知らせが入ったので、ゲート前に座り込む。この時点では、参加者は30名前後に減っていた。この人数だと簡単に排除されて終わりだろう、と諦めの気分が強くなったが、そうではなかった。残った参加者全員が頑強に踏ん張った。機動隊の隊員たちの顔にも疲労の表情がみえる。我々は全員排除されたが、不思議なことに敗北感はない。視線の先は、日本政府、安倍政権だからだ。安倍政権の支持率は下降線をたどる一方だろう。辺野古へ参加する人々が絶えない限り、新基地建設は必ず頓挫する運命にある。帰りのバスの中で、美空ひばりの唐獅子牡丹を、スマホYouTubeからマイクで流した。「今日は、美空ひばりさんも連れてきています。唐獅子牡丹を歌ってもらいます。」バスの中が爆笑に包まれた。県庁前広場に着いたのは、18時過ぎ。一番遅い帰宅になった。辺野古は、ぼくにとって掛け替えのない実学の場となりつつある。

 

お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!
海兵隊は沖縄に駐留する必然性はない!海兵隊は抑止力にならない !
毎日無料高速バスが出ています:参加費はカンパのみ
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発:受付8時半〜)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勇馬氏に答える(7月6日の当ブログのコメントに対して)

勇馬様。論点はただ一つ、沖縄に海兵隊を駐留させる軍事的必然性があるかどうかです。ないとする私に対し、依然として貴方は多少の疑問を提示しています。今回のコメントにおける貴方の見解に触れながら私見を述べたいと思います。
1.貴方は元航空自衛官、数多久遠氏の見解に賛意を示しつつ、少なくとも無視できない有力な見方であろう、と述べています。確かに、数多氏の分析には無視できないところがあります。私は完全に氏の見解を否定はしません。しかし、正直なところ、疑問を感じざるを得ないのも事実です。まず、台湾海峡危機に関してです。約20年前、中国共産党は台湾の李登輝総統を脅迫する目的で、台湾に向けてミサイルを発射しました。この時、中国共産党の野心を挫折させた直接的要因は、米軍の第七艦隊を主力とする航空母艦群が台湾海峡に陣取って、中国に睨みを効かしたからでした。在沖海兵隊が駆けつけたからではありません。数多氏は、台湾有事に備えて、海兵隊が沖縄に駐留する意義を説いていますが、彼はそもそも、海兵隊が沖縄に配備される前は、本土に駐留していた事実を知っていて発言しているのでしょうか?1957年に起きたジラード事件やその他の米軍基地あるゆえに生じた事件・事故が原因で地元住民による米軍基地反対運動が強まるということがありました。そのため日本政府と米国政府は危機感を強め、種々曲折した議論を経て、最終的に海兵隊を沖縄へ移転することに決めたのです。つまりそれまでは海兵隊は本土駐留でも良かったのです。地元住民による反基地運動が起きなければ、そのまま駐留し続けたでしょう。この歴史的経過だけを考えても、海兵隊は沖縄でなければならないとする主張に確たる根拠がないことがわかります。ではなぜ沖縄に白羽の矢を立てたのか。それは、当時の沖縄が米国政府の統制下にあったからです。つまり沖縄なら移転しやすい。
米国は沖縄県民(当時は県民ではなく、沖縄人)に押し付ける強行策に出たのです。実際、沖縄では「島ぐるみ闘争」と呼ばれる熾烈な反基地運動が起きました。しかし、本土で反対運動が起きた時と違い、日本政府は沈黙を決め込み、海兵隊移転は強行されたのです。この歴史的経過を考慮するなら、数多氏が在沖海兵隊は、台湾有事の際の人質として有用であるとする主張は、後付けの論理にしかすぎず、説得力としては非常に脆弱である、と言いたい。
「アメリカが、台湾への肩入れを止めるならば、沖縄に海兵隊を置いておく必要はありません。国外への兵の駐留は、アメリカにとっても負担ですから、当然に撤退することになるでしょう。ただし、その結果、台湾が中国に取り込まれた後、沖縄がどうすべきかも考えておく必要があります。その時は、沖縄が最前線ですが、アメリカが人質を置いてくれるかどうかは分かりません。台湾放棄論・沖縄放棄論が出ることも考慮しておくべきです。」
と数多氏は述べていますが、とても元航空自衛官の発言とは思えません。国外の駐留は米国にとって負担だと言っていますが、財政的負担のことだとすれば、在日米軍は世界中に存在する米軍の中で、その負担率は最も低いはずです。前防衛大臣中谷氏によれば、在日米軍の約85%の駐留経費を日本政府が負担しているとのことです。これだけ面倒見が良ければ、在日米軍が自主的に撤退することは考えにくい。そして台湾が中国に取り込まれた後、沖縄が最前線になり、その際、台湾放棄論・沖縄放棄論が出ることも考慮しておくべきだとも述べていますが、どうしてこのような発想になるのでしょうか。確かに我が国から全米軍が撤退し、東シナ海の海底を遊弋しているであろう米原子力潜水艦も姿を消せば、そうなる可能性は大いにありうるでしょう。しかし、数多氏が言及しているのは、沖縄から海兵隊が撤退したらという仮定です。それだけで、つまり沖縄から海兵隊が撤退しただけで台湾放棄論・沖縄放棄論が出てくるのでしょうか?とても信じ難い。何故なら、沖縄から海兵隊が撤退しても、嘉手納空軍基地も、第七艦隊も、原子力潜水艦も、そしてもちろん我が自衛隊もそのまま存在するからです。これだけ強靭・強力な抑止力がありながら、台湾放棄論・沖縄放棄論が出てくる理由が理解できません。いくら元航空自衛官とは言え、思慮に欠ける発言と言わなければならないでしょう。
自衛隊が国軍として(いかさまの自衛力ではなく戦力として、警察力ではなく軍隊として)認知され、米軍に置き換わるまでの沖縄と日本の防衛は遺憾ながら米軍に頼らざるを得ないのが現実ではないでしょうか。台湾が盗られれば次は沖縄です。」
勇馬氏は、そう述べています。しかし一体、米軍に頼らざるを得ない状態は、この先いつまで続くのでしょうか?20年でしょうか、50年でしょうか?私の考えでは、辺野古新基地が完成したら、日本の真の独立は100年遅れると思います。そうさせてはならないから、中国共産党に対する必要不可欠な抑止力を維持しつつ、同時に国策を自主防衛路線に転換させるべく、大声で叫び続ける必要があると言っているのです。沖縄に海兵隊を駐留させる軍事的必然性はありません。海兵隊の機能を考えるなら、九州でも四国でも構わないのです。我が国が真の独立国家になるまでは、日米安全保障条約が必要というならば、その基地負担は全国で公平に担うべきでしょう。沖縄県民が訴えているのはこの一点です。
2.多くの識者が言っているように、尖閣防衛に海兵隊の出る幕はありません。小さな無人島に兵隊を上陸させても、戦闘機から発射されるミサイルの餌食になるだけです。
3.私は、沖縄に海兵隊が駐留する軍事的必然性はないと確信しているので、普天間飛行場辺野古への移設は容認できません。
4.「翁長知事が同じ国家の外交問題である尖閣辺野古で矛盾した行動をとっていることに関して、「私は、先日の返信で、この件に関しては十分論を尽くした」と答えておられますが、恐縮ですがどの箇所か再言して頂けないでしょうか?」
勇馬氏が田母神氏に言及した折、以下のように私見を述べました。これで十分論を尽くしたと考えた箇所です。
「“米軍普天間基地辺野古移転に対する翁長沖縄県知事の対応はどこまでも政府の方針に反対である。これほどまでに日本政府に反対のこぶしを振り上げる理由は何なのか。沖縄県知事は日本の安全保障に責任を持てない。知事は尖閣周辺で無法を働く中国船などについては何の発言もしない。” 田母神氏は、確かに軍事に関しては専門家です。しかし、全知全能の神ではありません。田母神氏の発言には論理の矛盾があり、沖縄に対する無理解があります。「 沖縄県知事は日本の安全保障に責任を持てない。」のであるならば、どうしてその知事が領有権を争って一触即発の危険を孕む尖閣問題で、中国政府を非難できるのでしょうか?知事の一言が事態をさらに悪化させることだって十分に考えられる。一市民ならいくらでも批判できるでしょう。現にネット空間では非難合戦が繰り広げられています。しかし、県民の責任を背負う立場にある県知事に果たしてそんなことが許されるのか、大いに疑問です。尖閣問題は、日本政府と中国政府との安全保障問題そのものではないですか。自衛隊を指揮監督する日本政府が責任を持って対応すべき政府の専権事項です。
仮に翁長知事が中国船の無法ぶりについて発言したとしましょう。それで中国共産党の政策が変わるとでもいうのでしょうか?翁長知事は中国共産党の政策を変えさせるほどの大物政治家でしょうか?是非そうあって欲しいものですが、現実はそうではありません。むしろ中国を名指しで非難すべきは、絶大な権力を有する日本政府ではないですか。 「 米軍普天間基地辺野古移転に対する翁長沖縄県知事の対応はどこまでも政府の方針に反対である。これほどまでに日本政府に反対のこぶしを振り上げる理由は何なのか。」 理由ははっきりしています。多くの県民が辺野古移設に反対だからです。その県民が翁長知事を支持しているからです。我々沖縄県民は、3年前の選挙で36万票対26万票という圧倒的票差で翁長知事を選んだのです。民主主義社会において、この事実は重い。政府は沖縄県民の意思を尊重すべきです。田母神氏の言い方は、まるで政府の方針だから反対しているのだ、のように聞こえるが、政府の正しい方針には賛成し、正しくない方針には反対する。民主主義国家では当たり前のことで、他の自治体も同じではないかと思うのですが、どうでしょうか?」
5.沖縄に海兵隊が駐留する軍事的必然性はないと確信しています。従って、辺野古闘争に身を投じることが、中国共産党の利益につながるとは思いません。
「チャイナマネーの流れは極秘裏に行われているため具体的に説明できませんが日本社会党飛鳥田、土井、浅沼らにソ連のカネが渡っていたことは暴露されました。公安が密かに把握することを同時代に公表することはありません。」
と勇馬氏は先日の私の質問に答えておられる。非常に残念です。具体的に説明できないのに、勇馬氏は、沖縄の反基地闘争にはチャイナマネーが間違いなく流れている、と断定されたのですか?なんら根拠のないデマを信じたとしか思われません。
「闘争現場にハングル文字があったことは韓国朝鮮人がデモに参加している証ですが、Kinbushi様がそれを歓迎されるのは何故でしょう。」
私は確認していませんが、仮に韓国朝鮮人がデモに参加しているとして、何か不都合なことでもあるのでしょうか?彼らが北朝鮮工作員なら当然容認できないどころか、現場から追い出されるでしょう。しかし、良心的韓国人なら大歓迎です。現場には退役米軍人の方も来ます。おかげで私は、その一人である『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』の著者ラミス氏を知ることになりました。2度辺野古行きのバスで同乗し、言葉を交わしたことがあります。高齢のためか、最近は見かけませんが。韓国人だろうが、アメリカ人だろうが、辺野古闘争に参加する良心的人間は誰だろうと大歓迎です。勇馬氏も是非参加してほしいものです。当然、大歓迎されることでしょう。百聞は一見に如かず。
6.私は勇馬氏とは違い、現在の日本の大多数は衆愚国民とは思いません。身の回り全てが師であると考えることにしています。従って当ブログを啓蒙のためと考えたことは一度もないのです。自分がこれまで考えて来た様々なことを、少しづつ整理できたらと思い、拙い文を綴っているに過ぎません。日々、自問自答を繰り返しています。自問自答こそ本物の学問である、というようなことを確か、小林秀雄本居宣長の講演で語っていた、と記憶にあるのですが、勿論、そのような大げさな気分ではありません。
7.私は民主主義のなんたるかを、西部邁氏から学んだように思います。西部邁ゼミナールは面白い番組で毎週見ています。YouTubeはすごいですね。テレビで放映されない貴重な情報を得ることができるのですから。ところで、勇馬さんはブログを開設しているとのことですが、良かったらブログ名を教えて頂けませんか?


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本居宣長の言葉が意味するもの

二十代前半、精神的に悩んでいた頃、キリスト教に入信しようかどうしようか、と迷ったことがあった。新約聖書に記されたイエス・キリストの言葉は、悩める魂を救ってくれそうな気がしたからである。伝道に訪れたエホバの証人を家に招き入れ、彼らの話に耳を傾けたこともある。しかし、入信に至ることはなかった。最後まで入信を踏みとどまらせたものは何だったのだろうか?それが判明するまで長い歳月が流れた。東京で暮らしていた頃、池袋の有隣堂書店で『般若心経』という本を偶然目にした。著者はバグワン・シュリ・ラジニーシという。著者というよりも講話者というのが正確かもしれない。弟子たちの前で話した内容をそのまま弟子たちが本にしたものだからだ。最初のページを開く。
「あなたの内なるブッダにごあいさつします」
最初に飛び込んで来たこの言葉は、予期せぬ不思議な力でぼくを魅了した。ラジニーシが語る平明な言葉には深い意味が込められていることが、読み進むにつれ分かってくる。忽ちラジニーシの言葉の虜になり、その日以来、彼の本を次々買い求めるようになった。気がつくと数十冊が本棚に並ぶことになった。三十代後半から四十代にかけて、ぼくはラジニーシの弟子だったことになる。勿論、聖名をいただかない、ヤクザな弟子にしかすぎないのだが。しかし、そんなことはどうでも良い。長い間解決できなかった宗教に対する疑問が、ラジニーシのおかげで完全に氷解したのだ。禅の講話を始める頃、彼はラジニーシの名を改めて、和尚という一般名を使用するようになる。その和尚から学んだことは、知識としての宗教ではなく、宗教の本質である。宗教は完全に個人的なものであるということ。組織化された宗教は、宗教とは言えず、むしろ政治と呼ぶべきである。その目的は、一人でも多くの信者を増やすことだからだ。宗教の本来の姿は、禅において体現されている。人間にとって一番大事なことは、いまこの瞬間のここである。この真理が理解できたら、あとは実践するだけだ。長期間にわたる独自の実戦の結果、ぼくはようやく和尚を卒業できたように思う。和尚の本は、数冊だけ残して、ほとんどを処分した。
「私の言葉にとらわれてはいけない。夢の中に、私が現れたら、私の首を切り落としなさい。」
和尚自身の言葉である。本物の光明を得た仏陀に匹敵する人物であった。
さて、個人的に自分の中で宗教に対する疑問は解決したが、ぼく自身は光明を得たわけではない。未だに極平凡な一人の人間にしかすぎない。そんな折、本居宣長の次のような言葉に出会った。
「さて又神道に教えの書なきは、これ眞の道なる證也。凡て人を教えておもむかするは、もと正しき經の道にはあらず。然るに其教えのなきを以て、其道なしと思ふは、外國の小き道々にのみならひて、眞の道を知らざる故のひかごと也。教のなきこそ尊とけれ。教を旨とするは、人作の小道也。」
まさに目から鱗である。教えの書なき神道!なんという爽やかなる道であろうか。キリスト教イスラム教も仏教も、凡て分厚い教書を持っている。だから後世の信者による解釈の相違が出て来た。争いの種が発芽し、論争が巻き起こり、戦争にまで発展した。しかし、我が神道は、教えの書を持たないという。我が国の古代人は、教えの書を作れば、解釈の争いが起きることを予見し、ある意味、人間の愚かさを、達観していたのだ。以来、ぼくが信じる宗教は神道である、と自信を持って言うことにしている。悟りを説く和尚の教えは、ぼくのような凡人には高級すぎる。しかし、神道は自然にすんなりと、少しの無理もなく、ぼくの中に入るのである。教えの書はなくとも祈る心があるだけで十分ではないか。古代の人々のとてつもない知恵に敬意を払いたい。さて、さらに論じれば、神道を持つ我が国であれば、憲法不文憲法で良いではないか、と言いたいのだ。現在の占領憲法を廃止して、不文憲法とするのだ。スッキリして良いと思うが、いかがなものだろうか。我らの先祖にできて、今を生きる我らにできないはずはないと思うが。

 

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8回目の辺野古:我々はすでに精神的に勝利している!

昨日辺野古へ行った。帰宅後、疲労が激しくブログに書き込む余裕がなかった。昨日、県庁前広場で乗り込んだのは15名。高速インター前で3名加わり総勢18人になった。先週予告した、沖縄大学内の掲示板に辺野古行きを推奨するポスター作成の件の結果報告をした。
独自作成のA3サイズのポスターを担当部の学生支援センターに持って行き、担当者に渡した。スタッフで検討してから返事をよこすとのこと。数時間後、携帯が鳴った。返事は次のようなものだった。大学側としては、メッセージ性の強いポスターは掲示できない、イヴェントのお知らせの類のものなら可能であるとの返事を受け、残念ながら採用されなかった、という内容の報告である。少しも過激な言葉は入っていないにもかかわらずメッセージ性が強いというのは、要するに少しでも政治性を帯びたものはダメという意味だろうと受け止めた。しかし、どうしても若い大学生諸君に辺野古の現実を実際に見てもらいたい気持ちは強いので、チラシを作成して配布することも考えていると付け加えた。ぼくの熱意は同乗者全員に伝わったと思う。色々と提案する発言がなされたからだ。今日も世話役の比嘉さんの明るい性格のおかげで、車内は和みっぱなしである。この人は、本当に話が巧みで、ユーモアもあり、明朗で知的、しかも思いやりがある。小柄でふっくらした女性だが、魅力的だ。比嘉さんに会うだけでも良い、ぜひ辺野古行きのバスに同乗してもらいたい。その価値は十分あると保証する。そして、もう一人知念さんという男性がいるが、この方はなんと、辺野古へは500回以上参加しているという強者だ。辺野古の座り込みが始まった当初からの参加者の一人で、辺野古のことならなんでも教えてくれる信頼できる人物であり、同時に尊敬すべき男性である。この日も、新基地建設の問題点を様々な角度から分析して淀みのない説明をしてくれた。彼も話が上手い。ウチナーンチュ独特のユーモアのセンスもある。参加者全員から一目置かれる人望の厚い人である。伊芸エリアで10分間休憩の後、辺野古に着いた。エアコンの効いたバスを降りると暑さでムッとする。しかし、辺野古の緑は心をなごましてくれる。歩道沿いに植えられた植物で、正式名はわからないが、サルスベリの一種らしい木の枝に咲き乱れる赤紫の花々が朝陽を浴びて美しい。対照的に、フェンスの向こう側に日米地位協定で立ち入りが許されない、不気味な海兵隊基地が永遠と続いている。ローテーションで東南アジアを遠征するため、半年以上沖縄を留守にする在沖海兵隊。実際歩道沿いに広大な基地内を観察しても、多数の建物と草色の米軍車両が存在するだけで、海兵隊員はほとんど見られない。一体建物の中に、どれだけの人数の兵隊が残っているのだろうか?恐らく秘密事項で、日本側に知らされることはないだろう。驚くほどほんのわずかではないか、とぼくは様々な情報を元に推測するのだが。それでも、建物の中は24時間エアコンをつけっ放しらしい。「思いやり予算」というふざけた名前の日本人特有のおもてなし精神のおかげだ。前防衛大臣中谷氏によると、在日米軍の駐留経費に占める日本側の負担額は、総額の85%に上るらしい。兵士に支払う給料以外は、全て国民の税金で負担していることになる。なんという理不尽・不条理であろう。しかも、沖縄に海兵隊を駐留させる戦略的必然性についての徹底した議論が政府の中で交わされた形跡すらないのである。愚鈍な指導者をいただく国民は不幸であると言わなければならない。参加者のほとんどはテントの中にいる。全島各地から集まった人数は100人は超えている。那覇組が少ないだけに心配したが、この人数を見て少し安堵した。我々もテントの中に入る。陰に入れるだけでありがたい。指導的立場の人たちが代わる代わるマイクを握り、現状の説明とその他いろいろの話があった。我々が到着前の工事車両の搬入はなかったらしい。マイクでの説明が続く最中、右手の方向から、何やら聴き覚えのある日本の童謡が大音響で迫ってきた。何事だろうと思ったら、右翼団体「大日本忠仁社」の車がやってきたのである。すかさずマイクの声がいう。「私たちの応援団が来たようです。皆さん、拍手で迎えましょう!」100名を超える参加者全員が、大日本忠仁社の黒車を大きな拍手で迎えた。我々の目前を通り過ぎながら、グロテスクな黒車の窓から団員が何か叫んでいるが、我々の大きな拍手にかき消されて、何をほざいているか聞こえない。機転を利かしたマイクの話し手と我々の鮮やかな勝利である。しつこくUターンして来たが、同じ様に大拍手で送り返してやった。チンピラをまともに相手にするほど、我々は暇人ではないのだ。昼食もそのままテントの中でとることになった。仲間同士、様々な話題について話が弾む。13時半ごろ、機動隊が動き始めたという知らせが入った。全員、工事用ゲート前に行き座り込む。やはり、暑い。それでも整然と座り込む。機動隊がゾロゾロとやって来た。「機動隊は帰れ!」コールの中、一人ひとり、次々に排除されていく。彼らのやり方は必ずしも暴力的とは言えない。我々も非暴力に徹するが、ただ簡単には排除されまいと、頑強に抵抗する。ぼくはいつもの様に最後尾に座っていた。二人の隊員に両脇を抱きかかえられても自ら動くことはしない。するともう一人が足を抱きかかえて3人に歩道の一角まで運ばれた。いつものパターンだが、非暴力に徹する限り、今の所この方法しかないのだ。歩道の一角で我々はかなり長時間、約1時間近く機動隊に取り囲まれて身動きが取れない状態に置かれた。機動隊員に向かって抗議し説得を試みる。「ここはアメリカじゃないぞ。日本だ、沖縄だ。」「弱者を抑圧して強者には頭を下げる。恥ずかしいと思わんのか。日本男児の誇りはどこに行ったのだ?」「君たちの向いている方向が違うんだよ。我々を排除するんじゃなく塀の向こう側の海兵隊を排除すべきだろう。」「ウチナーンチュ同士争ってどうする?我々は、祖先も歴史も同じ同胞じゃないか。」「君たちに真の勇気があるなら、我々と一緒に戦おうじゃないか。強大な米軍に立ち向かって、日本の歴史を変えようじゃないか。」「海兵隊が沖縄に駐留する必然性がないことは多くの専門家によって証明されている。安全保障をもっとしっかり勉強しろよ。」「我々は君たちの未来のために戦っているんだぞ。君たちの子供、生まれてくる孫たちのためにたかっているんだぞ、なぜ分かってくれないのだ。」こういった内容のことを、大声で繰り返し訴えた。無論、彼らは黙ったままだ。しかし、嫌な顔をしたり、迷惑そうな表情を見せる隊員はいない。中に一人、明らかに顔色が変わり目頭が熱くなる隊員がいた。ぼくの言動が憎くて、悔し涙目になったのだろうか?それともぼくの言葉の何かが彼の琴線に触れて自分の立場を情けないと思った結果なのだろうか?彼の胸中を知ることはできないが、後者であってほしいと思う。もし仮にそうであるなら、彼には辛いだろうが、しかし良い意味で、彼の人生が変わるきっかけになるかもしれないからだ。他に変わる仕事が探せなくとも良い、現職にとどまって良いから、沖縄の歴史、日本の安全保障をもっと、より広く深く勉強してほしい。必ずプラスに作用して、良き機動隊員に成長することを祈るだけである。彼らはほとんどがまだ20代の人生経験が浅い若者だ。彼らの人格を貶める様な残酷な言葉を投げつけてはならない。バカ、アホ、死ね、人殺し、などは絶対に使ってはいけない言葉だ。それは単なる反発と拒否反応を誘発するだけだからだ。そうではなく、筋の通った、彼らの思想、行動を反省させる様な説得をすべきだろう。ぼくは自分の言葉を彼らにぶつける時、決して冗談をいうつもりなどない。語調は強いかもしれないが、真剣勝負で向き合っているつもりだ。愚鈍でも同じことを忍耐強く繰り返す他ないだろう。15時半ごろ機動隊の全車両が、基地内から引き上げるのが確認されて、本日は散会となった。ところが帰りのバスで事件が起きた。伊芸エリアで休憩した後のことである。マイクを握ってぼくが「沖縄育ち」を歌っている最中、騒ぎが起こった。伊芸エリアに一人置き忘れたらしい。女性の今村さんだという。バスは高速を走っている。さあどうする、ということになって、当然引き返して拾うべきだろう、ということになった。石川のインターで降りて、金武のインターから入り直すことになった。かなり時間がかかるので、途中まで歌った「沖縄育ち」を催促する声が上がった。その声に対して、「今村さんが無事に生還されるのを確認できたら、その祝福のために歌いましょう。」と返すと、車内はドッと爆笑に包まれた。伊芸エリアで無事、岩村さんを拾い、帰りを急いだ。当然、約束した歌を岩村さんのために唄った。全員疲れているはずだが、比嘉さんのリードで終始和やかである。みんな精神的にタフで、余裕さえ感じられる。我々は精神的に、すでに勝利しているのだ、と強く感じた。県庁前広場に着いたときは、17時半を回っていた。これまでに一番遅い帰宅時間である。機動隊と張り合って疲労困ぱいし、おかげで熟睡できた。翌日(今日)は心身ともに爽やかである。

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 (いずれも県庁前広場発:受付8時半〜)

 

 

 

 

安倍政権の終わりの始まり

東京都議会選挙は自民党の歴史的大敗北で幕を閉じた。予想を大きく上回る無残な敗北である。原因は種々あるだろうが、自民党政治家の傲慢さに都民が耐えきれなくなったといえるのではないか。レヴェルの低さは政治家全般に見られる現象だとしても、特に我が国を取り巻く軍事的緊張を考えると、今や内閣で最重要ポストであるはずの防衛大臣のだらしなさは目を覆うばかりで、我が国の安全保障の危機に直結する重大事態と言わなければならない。安倍首相はなぜ稲田朋美防衛大臣に任命したのか?恐らく彼女の保守思想が自分のそれと同質であると認めたからだろう。

しかし、首相の目は政治家としての器を見る能力に欠けていた。首相本人の性格による判断ミスといえる。加えて安倍首相の政治家としての限界が露呈してきたのも事実だ。今まで安倍政権が長く続いた直接の要因は、無能が原因で起きた民主党政権の墜落のおかげと言って良い。決して自民党への積極的支持によるものではなかった。棚からぼたもち式のものだったことがはっきりしてきた。自民党の体質は少しも変わっていないことが分かったからだ。オブスキュランティズム。対米従属路線。今回の都議選の歴史的大敗北以降は、安倍政権の凋落が続くだろう。いくら内閣改造をしたところで、政治家のレヴェルが高まらない限り、国民の信頼を得るのは不可能と認識すべきだ。山高ければ谷深し。傲慢で子供っぽい安倍政権はあまりにも長過ぎた。いよいよ、終わりの始まりの幕が上がった。

 

お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!海兵隊は抑止力にならない !

無料高速バスが毎日出ています。参加費はカンパのみ。

月曜日 午前9時発 平和市民連絡会
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発)

7回目の辺野古:抵抗の遺伝子は確実に進化する

9時発の辺野古行きのバスに乗り込んだのは17名。先週より少ない。しかし、高速インター前で5人乗車したので総勢22名になった。本土からきてくれた人が4名で、初めてだと言う人が二人いた。久しぶりにマイクを握って、本土からきてくれた方に感謝の意を込めて「沖縄育ち」を一番だけ歌った。拍手の大きさからして、喜んでもらえたと思う。世話役の比嘉さんのおかげで、車内は和みっぱなしである。伊芸エリアで10分間の休憩の後、辺野古に着いた。予想以上に暑い。この暑さでよく参加できるものだと、辺野古にくる人々にはただただ頭が下がる。昨日、メイクマンで購入した溶接工用の帽子をかぶる。そしてポカリスエットも持ってきた。すべて暑さ対策、脱水症対策である。今日で、座り込み1088日になるらしい。この事実だけでも驚きだ。辺野古に新基地は造らせないという参加者達の意志の強さは並大抵のものではない。心の中だけで反対するだけではダメだ。この抵抗の姿を全世界の人々に是非見てもらいたい。工事ゲート前に座り込む。最後に排除される最後尾の席だ。座っているだけで汗が吹き出てくる。13時半頃、機動隊がゾロゾロやってきた。いつもより彼らの姿が無様に見える。日本人同士が争うなんて、ナンセンスそのものだ。その後ろに隠れて微笑む影が浮かび上がる。安倍内閣と在沖海兵隊だ。民主主義を装う独裁政権安倍内閣。我が国防衛の抑止力にならない在沖海兵隊。一体この国の未来に待ち構えるものはなんだ?西部邁氏の決め台詞、捨て台詞「 もはやこの国はダメなんじゃないですか?」西部氏のような碩学が冗談でこんなセリフを吐くはずがない。彼はすでにこの国に絶望しているのだ。しかし、我々沖縄県民が諦めることはない。安倍内閣が倒れ、辺野古新基地建設が中止になるまで、一歩も引くことはない。日本の民主主義の質を高めるために、辺野古闘争が止むことはない。冷たいシャワーを浴びて身も心もスッキリした。心は折れても何度でも立ち上がる。抵抗の遺伝子は、確実に進化しているのだ。


お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!海兵隊は抑止力にならない !
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会(往復カンパのみ)
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議(往復千円のみ)
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも県庁前広場発)

オスプレイは本当に高性能なのか? ・ 運用率1%、事故率は41倍

沖縄タイムス社編集局編著『これってホント⁉︎誤解だらけの沖縄基地』から。

「 開発に30年近くを要した米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは、宜野湾市普天間飛行場に2個飛行隊、計24機が配備されている。開発段階から事故が多発し、米国内では「空飛ぶ恥」(タイム誌)、とまで言われた。そのため、2011年に具体的な配備計画が示されて以降、仲井真弘多前県政から、沖縄県は一貫して県内への配備反対を表明している。

日米両政府は12年9月19日の日米合同委員会で、「高度な能力を持つオスプレイの沖縄配備は、国際の平和、安全の維持に寄与する」と覚書を締結した。そして県民の反発や懸念にかかわらず、同年10月に、配備を強行した。

MV22は物資や人を運ぶ輸送を任務として、海兵隊はCH46ヘリコプターの後継の「次期主力輸送機」と位置付けてきた。防衛省はCH46に比べ、速度2倍、搭載能力3倍、行動半径4倍と優れた性能を有すると説明する。固定翼と垂直離着陸の機能を併せ持ち、在日米軍全体の抑止力が強化されると沖縄配備の必要性を訴えてきた。

事故率の高さが注目を集めてきたオスプレイであるが、実際に海兵隊の主力輸送機となり得たのか。米海軍安全センターが公表した海兵隊航空機のアフガニスタンでの運用状況で衝撃的な数字が出た。10〜12会計年度に当地へ配備したオスプレイの飛行時間は計723・6時間で、ヘリ機能を持つ6機種のうち、運用率が1・02%と極端に低かったのだ。

「主力」と呼ぶには首をかしげるような実態が浮かび上がった。一方で、その期間のオスプレイのクラスA~Dの事故は計8件。10万飛行時間当たりの事故率に換算すると、戦闘機などを含めた全12機種平均の約41倍と突出している。90・4時間に1件の割合で発生したことになる。2015年5月のネパール地震の復旧支援では、被災地の建物の屋根がオスプレイの下降気流で吹き飛んだとされる。実戦配備後も気流に機体が巻き込まれ着陸に失敗したり、墜落したりする事故がアフガニスタン以外でも起きている。

米国防研究所(IDA)の元主任分析官でオスプレイの専門家、レックス・リボロ氏はアフガニスタンでの運用率の低さは「事故発生への懸念」が理由の一つとみて、「実戦で使い物にならなかったことを立証した」と厳しく評価する。リボロ氏はオスプレイが本来の目的のために使えないと強調して、報告書の中で、アフガニスタンでの飛行時間が、海兵隊保有数250機のオスプレイが723時間、保有数150機のUH1Yヘリが1万6千時間以上と、その差が歴然であることに着目する。

戦地での任務遂行機能に大差がない場合、より安全なヘリが使用されていることを示した。その上で、「海兵隊は今後、給油のできない長距離飛行など、オスプレイの利点を生かすことのできる特別任務を除き、オスプレイの大半を退かせるのではないか」との見通しを語った。

米航空専門誌「アビエーション・ウィーク」は他の機種に比べ、オスプレイの点検周期が短いことを指摘している。オスプレイの危険性を追求する市民団体「リムピース」の頼和太郎編集長は、「点検、整備の周期が短いのは不具合が多いから、使い勝手が悪く、部隊から信頼されていない」と語った。

一方で、16年4月の熊本地震の支援で、普天間飛行場オスプレイが導入された。自衛隊のヘリコプターに余力が残る中での使用に、「下降気流の少ない自衛隊のCH47ヘリコプターの方が災害救助には優れた能力を持つ。一刻を争う急患輸送ならともかく、なぜ物資輸送でオスプレイが必要だったのか、理解に苦しむ」「危険性のイメージを払拭するためのデモンストレーションだ」と、専門家からも疑問が噴出した。」

 

このような我が国にとってなんの抑止力にもならないオスプレイを、計17機、総額3千億も支出して購入した政府の国防意識の腐敗堕落振りは目を覆うばかりである。はっきり言う。安倍内閣に信頼すべき国家理念などない。 

 

お知らせ: 保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!No Marine !
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会(往復カンパのみ)
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木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
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